ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



ASD、アスペ、発達障害

診断書に書かれる「発達障害」。

自分では、生まれながらすなわち先天的な脳の神経細胞およびニューラルネット(回路網)に修復不可能な設計ミスが含まれている、と解釈しています。

あんまり人権的な話は避けたいのですが社会や世間は許しません。

Disorder(ディスオーダ)の直訳が障害です。ちなみにsyndorome(シンドローム)は症候群と訳されます。

・え、そこおかしくない?

・なぜ、当然なことができないの?

みたいなやり取りが生じます。

 

ここで、疑問を呈している側が「健常者」、対象になっている側が「当事者」という区分けですね。

私は、後者の当事者に相当します。世の中の大多数(マジョリティ)が当然と思うことを、「本当に悪気が無く」思えないのです。逆に何でそう考えられるのか?と疑問に思います。

健常者、当事者の溝は多くの場面では埋まりません。この隔たりは他の差別問題のように簡単には埋まらず少数派(マイノリティ)の当事者側が開き直ってこじらせているのも見かけます。

 

前回のブログでは最初はうつ病療養。次に嫁さんが夫であるアスペな行動に疲弊してしまう状況:カサンドラ症候群を、当事者なりに軽減できないか?ということで進めていました。常に環境への毒吐きと、どうにもならないもどかしさの捌け口になってしまっていましたが…

 

私が独り暮らしを始めて直接の会話・行動からの不整合からはお互い解放されました。

ただ嫁さんには、母子家庭状態と嫁さん側の実家に住まわせてもらっているので母娘問題の二重苦を強いてしまっているのが申し訳ないです。嫁さん教育を受けた双胎君たちが心を癒してくれているようです。

 

さて、当事者の私の勤労の義務を遂行する上での組織や社会システムの中での出来事や考え方がこのブログの主な内容になります。

日記、ライフハック的なことも記そうと思います。

 

では。

 



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