ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



自己肯定感

忙しさが収まらないです。

進捗会議で後れを指摘されました。

全体的に遅れてもいますし、まだ来ていない情報もあるので全体締切直前にいろいろ詰め込まれそうな不穏な感じになってきました。他は知りませんが、今の職場や依頼側は、遅れも不具合と一緒の扱いで、なんとかしろ!精神ではなく、とりあえず人をつぎ込んで挽回をします。

開発終了後でじっくり遅れの原因と対策について議論がなされます。最初の計画、フォロー体制、技術的困難さ、など多角的に分析します。人への攻撃は一切。。。ではないですけど基本的に管理側の対応や対策、新しい仕組みについて議論がなされます。

脱線宣言!

3つ前の大きな企業にも何かしらの失敗についての議論をする場が設けられていました。管理側の人間が一般社員の前でほぼ公開処刑に近い形で攻撃を受ける、自分としては?がつく制度がありました。ある現象に対して要因となるものは複数存在し、さらにそれらの要因を作り出す要因がツリー状に広がっていくのは管理者や経営者の教育を受けていなくても分かります。学生のときに取った情報処理の資格で、品質管理分野で必要な知識にもありました。魚の骨の図を英語読みしたものですね。その1つのラインだけを発表し議論する非常に奇妙なものでした。不思議なしきたりが世の中や組織には沢山ありますね。

脱線終り。

大人のASDADHDの当事者はタイトルの自己肯定感が非常に低いと言われています。大人のとつけているのは一応社会に入って行ける程度のレベルという意味です。何か失敗すると表立っては、隠したり、他人や状況のせいにしたりする行為が見られますけど、心底では自分のスキル不足や対応力の無さを攻めてしまうものとしてこの記事では扱います。

悪い形は、攻められっぱなし+自分が悪い、の負の循環で心が押しつぶされてしまうことです。

ありのままの自分をそういうものなんだと受け入れよう。とは言いますがそれができません。少数派や、健常者とは違う自分を卑下してしまう方向に思考が向きがちです。潰れる前に反発して爆発する人もいれば、もともと自分の主張だけを通そうとする当事者もおり、スペクトラム・連続体とは良く言ったもので精神医学ではこの連続体に分類してしまおうというズルい手法と私は思います。

すなわち、発達障害という大枠にカテゴライズするのに、ASD[まで落とし込んで、細かい部分はSの連続体の一部だからいろいろなケースがあるという逃げ手法と考えています。

自己肯定に重要な「自信」を持てない状態について先天的と後天的なものがあるとの持論です。

まず先天的のほう。生まれつき脳のニューラルネットワークの一部がちょっとおかしくて、メンタルクリニックや精神科で発達障害と診断され自分でも終始感じていた違和感に納得および治らない現実を知ります。

後天的なものとして、親からのしつけや教育の過度な不備。学校、会社ので小さな社会におけるカーストなどの理不尽なルールにより自信を無くしてしまうこと、があると思っています。

独り暮らし歴4年目で子育ては嫁さんに丸投げで大変申し訳ないですが、自分の親の真似を自分の子にしてしまわない、意識してきた教育方針というのが「根拠のない自信」の芽を摘まないようにすることでした。

3人の子供たちの幼少期には、頭ごなしの否定を絶対しないことは心がけました。何かいたずらや悪いことをしたときは、感情に任せた怒りは絶対にせず、良くないことである叱りで戒めました。昭和のアニメ、一休さんにでてきたどちて坊や状態に私が遭遇したときはすべて受け答えをしました。余裕があれば逆に質問形式で何度か返したことがあります。

唯一、自分の親から受けた教育方針を受け継がず、ASDながらコントロールした部分です。

自分の親の教育方針を以前から悪く言っていますが、マネしたかったのは週末に「自然のある場所」に出かけることができなかったのは一緒に暮らしていたときも仕事の忙しさのせいで、できませんでした。これはちょっと悔やまれます。

客観的に見たところ、3人とも私のASDの遺伝子部分は抑えられ、母親のおおらかな性格部分を優性的に受け継いでいるようで安心しています。過ぎ去った仮にの話ですが私の性格を受け継いでしまったとしても、後天的に自信だけは持たせたいと考えていました。

根拠のない自信が自己肯定につながるか?の一般論はさておき、その両方を喪失している自分が、子供たちのものごころがつくときに手助けした自負はあります。子どもたちからみれば要らないものかもしれませんがマイナスにならないと思っています。

健常者であっても生きていくのが難しい現代社会において、情報を集め行間を読み、スルー力を高めてできるだけ楽に人生を謳歌してもらいたいものです。

では。



スポンサーリンク