カサンドラ嫁の原因アスペ夫の私が何をすべきか?

アスペ技術者・カサンドラ症候群の嫁さんの原因夫が何をすべきか?と理系寄りの雑多な話題をつらつらと…

カサンドラ症候群は、アスペ(ASD)のパートナー、特に夫を持つ奥様方が人間関係欠如などかみ合わない夫婦生活に疲弊した心身的な障害(うつ病など)を指しますが、米国精神医学会では、まだ正式には認められたものではないようです。
ブログ管理者が「アスペ」と40代で診断され自身も驚きでした。さらに嫁さんがカサンドラで疲弊しているのを気づいてはいるのです。そこで、どうしたら発達障害の限定された私の思考フローの中で歩み寄りができるか?を考えていくブログです。といっても最近は自分のことで精いっぱいです(笑)主な遍歴は「重要事項」のカテゴリーを見てください。
発達障害・メンタル系のお話が出てきます。薬や症状、対処法が書き込まれています。これはあくまで個人の対応・意見であって参考にしていただくのはうれしい限りですが、正式な診断・処置はしっかり医療機関で医師の指示に従ってくださいね。
最新の米国精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)の5では、アスペルガー症候群の呼称は無くなり「自閉症スペクトラム(ASD)」に分類されています。ASDはADHD、LDなどと同様のクラスの発達障害(生まれつきの脳の障害)で治りません。発症時期、程度、症状もいろいろですが本人も周りの人も対処法による理解が必要です。

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今、幸せ?

<<なんでしょう。同じ話を繰り返すことに億劫になってしまうこの感覚…
「そのはなし聞いた」「新しい話題は無いの」を恐れているのかな?>>

自分の存在を知り、意義に疑問を持ったのは小学校5年生の国語の時間で「詩」を書けと。という授業のときでした。
比喩的な表現をしてみようみたいなのが趣旨だったようです。そんな中、考えていると
・唯一鏡でしか見られない他人
・自分の生活・行動が見られている。神様みたいな超常的存在がいるのか?
・自分がいなくなったらこの世界を観測できなくなるし、存在意義は?
みたいな誰しもが通過すると言われる「私って誰?」のような哲学的な疑問に突き当たりました。

自分の記憶をたどると覚えているだけでも幼稚園のころから発達障害の傾向がでていました。<<障害・disorderって言葉が当たってるだけで損ですね。直近でいえばあるSNSでアスペは企業で働くなって管理能力だけは認める元上司に自信満々で書かれたこと。>>

廊下に張り出され、友達の作品とは異色を放つ違和感、と言って目立つ訳でもなく、先生もスルー。

幼少期から、むずむず脚症候群・restless legs syndromeの傾向がありました。身体への影響は一回目の休職中でSSRIを服用限界まで飲んできたときですか。子供のころは寝入り場と起床前の感覚・感情障害ですね。言わんともし難い感覚・気分が襲ってくる。といっても「怖い」ということなく、心が気持ちが悪いとでも言いましょうか。考えも未熟だったので特に対処もしないでも問題ありませんでした。

そういう感覚が襲っていたときに「自分とはなんぞや?」ってぼやっと思っていたのが、この授業で集約され、急に頭を悩ますことになりました。

大学の教養部時代に文系科目も単位としてとらなければいけなかったので経済・法学・論理学そして哲学の入門みたいな講義を受けました。<<個人的なは論理学が一番面白かったですが。>>
で、哲学の期末試験はレポートで何か自分で見つけた哲学書と思われる書籍を読んで思ったことを書け。みたいなざっくりしたものでした。<<技術書以外は嫁さんと正反対で本が嫌い。特に小説でもない評論的な、読んでいる途中でついていけなくなるような。>>
何のつながりでそれを選ぶ?は別で書くとして、デカルトの「方法序説」の訳本を読むことにしました。有名な「我思う、ゆえに我あり」が書かれているやつです。
結局のところ何だかわからないまま、感想文みたいなレポートになりました。出せばA(優)という先生でしたので、無駄にはならなかったのです。

アラフィフで仕事や評価に文句垂れている出世街道から転げ落ちた人間とひがんでいるせいか、最近貧困医大生、介護貧乏とかの記事に目が行ってしまいます。相対的幸せ論ってやつですね。自分より苦労してる人や厳しい境遇の人がいるんだと。
自分は流されやすい人間です。コメントには、ヤラセだろとか、努力の余地がある取材対象者が怠惰だとか、皆さん冷静な判断をしています。
嫁さん曰く、こういった境遇のとか状況はごく一部だからと、こちらも冷静な判断。

良く言えば達観、悪く言えば面倒。この世への生と、自分の存在意義、予想よりちょっと厳しい境遇について追及することも半ばあきらめ状態です。

これから、CPAP病院と歯医者に立て続けに行かなければならなく、インドア派で外気温も34℃、かつ昼寝もちょっと待て状態が面倒だなぁと思っているところです。
現在、私が自分なりに冷静になっていて、以前「幸せ」ってなんだ?みたいな記事を書いていたのに、もしかして案外幸せなのかもと思う次第でした。

嫁さんや子供たちが「休みなんだからゆっくりさせてくれよ」とゴロゴロしている父親を叩き起こして、家族でレジャーに行きます。子供たちは元気いっぱいにおおはしゃぎ、親のほうはベンチなどの日陰からその様子を見守って子供の成長を実感。夕刻、疲れたけど楽しかったね。が模範的なのでしょうかね。

自分の実力不足、子供の学年タイミング、嫁さんの理解と私への過度な期待はしない・子供たちが大好き能力などで別居生活になっています。私に限っては、少し「余裕」が出ています。嫁さんのカサンドラ症候群が進行していなければ良いのですが、ASDの私には計りかねます。0番目の一番手のかかる息子が、離れた地でそれなりに社会人しているので近くにいることの負担はかかっていないと思いますが…

<<>>は推敲時余分な情報かなと思った部分です(笑)

聞かなきゃ良かった…

賞与が出ました。1年なんとか持ちました。
半年前の業績と成績で事前に言われていた業績悪化分の減額がほぼありませんでした。
会社が資金繰りをどうやらがんばってくれたみたい。

前々職の企業にいたときは後半は国のファンドが融資するぐらいの業績悪化でまともな賞与をもらった試しがありませんでしたので久しぶりです。
前職の研究機関では、倒れる前は年俸制のため無し。倒れて契約社員に成り下がった後では削られた人件費から逆算できるもので、まあこの程度かという感じ。

以前の2つの企業では、賞与前後の面接・面談がつきもので、今回はその額の理由みたいなものが説明されました。
今回、出ただけ十分だったのですが、知らなければ良かったことを知ってしまったという話です。

評価は最低ランク。自分としては入社早々の管理業務にクレームをもらうくらいのやらかした感と、次の仕事の内容がスキル不整合で途中抜けさせもらい、現在の仕事に変えてもらったこともあったので納得できるものでした。

ところが、評価コメントがありました。

コメントを付けたのが今の部長のさらに上司。現部長が読み上げ。
簡単に言うと「まともな設計ができていない」との理由。
仕事内容が途中から変わり、特に後半の部長さんにはかなり迷惑をかけました。お客さんの声かもしれません。
それにしても、自分の最後の砦であるスキルを全否定された感。

まだ、話して3回ぐらいの毒舌の現部長さんもフォローに回るくらい。

小さい会社のため風通しは良いので率直なコメントだと思いますが、まさかそう来るかと。

2日経ってモヤモヤしてましたが、言葉にすることでなんとかモチベーションを保とうかと思って書いています

現在の仕事は経験が生かされ、ずっと避けてきた仕事の壁をなんとか持ち合わている引き出しで乗り越えています。
自分はチームリーダーではないので業務に専念でき、他のメンバーに持ち合わせていない知識をサポートしている形です(すでに疑心暗鬼でそう思っているだけなのかもしれない)。

 

今回の件で2つ思ったこと。

1つ目。
1か月半分、前回かなり迷惑をかけた部長さんの分を加味して、12月にどんな評価かは要らんがどんなコメントを頂けるのか非常に興味があります。

 

2つ目。こっちが重要。ちょっと長い。
転職人生も悪くないと思っています。家族には苦労かけてますが…
企業、大学、研究機関、伝聞ですが官僚と企業の研究部門。価値観が全く異なる評価(=給料)がされること。当たり前ですが、郷に従うのは当然です。

これでは産学官共同プロジェクトの本当の成功は、わが国では後20年はかかるでしょう。失敗しているプロジェクトはいくつも見ています。(ここで脱線だな)

やっかみorひがみと捉えてもらっても構いません。
生え抜きまたはその業界で働いてきた人間は、自分の常識で「力説」し、他の業界を語ると排他的で「ここは○○だから」と意見を聞かない。まさに井の中の蛙大海を知らず状態+固定観念に気づかない。
こういう人間を動かすには…というより、どうしようもないです。
5年位前OB会で技術・研究発表の順番が回ってきて、現在の技術動向などを踏まえて産学の隔たりについて語りました。
質問がきて、結局どうすればよいのか?とのこと。「人の話をまずは聞こう」です。もちろん実践されていません。
タイトルついでに大学・研究機関関係はASDの方が多いです。同類はわかります(笑)
あーやっちまったなぁと傍目から見て思ったのが、質問者が話しているしてる最中に、割り込んで話し出す。
会議の討論の最中ならまだわかりますが、学会の質疑応答中で…

あ、前のパラグラフでずいぶん脱線しましたね。さてなぜ、会社の評価が研究機関の不平にすり替わっているのでしょうか?わざとです。
平等な評価なんてできません。比べるもの次元が違うことがありますから。基準があっても人が決めること。先入観はあります。どこに行っても理不尽、不条理は潜んでいます。

 

最後まとめますと、モチベーション・士気を下げるコメントを平気で伝える・フィルターをかけない、神経がわかりません。仕事の密度、短納期、度重なる仕様変更の対応で手一杯なのに、前時代的な「こんちくしょー、見返してやるぜ」なんて思う方々はごく一部の幹部クラスで、みんな疲弊してます。日本の生産効率の悪さはちょっと前に公表されたばかりです。何かが間違ってます。


共通していることがあります。評価者(上司)に感情的に気に入られていることでバイアスが上がります。まあ、人間ですから。(前々職の企業が一番…)

とっさに左右がわからない

これは子供のころから感じていた不便さ。

面白いことに、自分の位置の認識と地図上の位置が合っているときは、東西南北で方向を言われたほうが数倍も反応が早いです。
交差点で、「東の方に曲がって!」(笑)
違和感ありますよね。普通なら左折、右折なので「右に曲がって!」とかでしょうね。

頭の中が、絶対座標です。近所でも新しい場所でも、地図が思い浮かべられていて東西南北がはっきりしています。現在の場所と自分が向かっている方向が「方角」なのです。
南方向に向かっていて、
直進はそのまま、左が東方向、右が西方向です。左右で言われるより方角で言われたほうが理解や処理が早いです。

私のASDの方向感覚はこのように脳回路が健常者と変わっています。
他人とのコミュニケーションで煩わしいのはさておき、欠点は、道が斜めはまだしも曲線で知らない間に方角が変わっていたときは、それはもう大混乱。現在位置と向かっている方向の情報がロストします。
修正に本物の地図か現在地を示す標識や建物が必要になります。
昼間で晴れていれば、太陽の位置と現在時刻、夜であれば北極星から方向を修正します(有名なサバイバル技術)。
新しい場所でも道に迷うことはほとんどないですが、前述のように駅から放射線状に道が延び、交差する道が円状になっている街とかは非常に(方向的に)居心地が悪いです。
関東方面なら、東横線日吉駅の慶大日吉キャンパスの反対側の半円の街が典型ですね。
札幌は碁盤の目状の上に地名が座標となっているので非常にわかりやすいです。

自分の左右は、茶碗、箸を持つではなく、「心臓がある方が左」です。これは幼稚園のころから。
英語は得意ではないのですが、野球の外野のレフト、ライトが連想され早めの認識です。

なぜこんな話題かといいますと、方角は関係ないのですが、電車アナウンスで、「次は○○駅です。お出口、変わって左側のドアが開きます。」となったとき、
・進行方向の確認(これは右左)
・進行方向のどちら側位居る、座っているか(これも左右)
・進行方向に90度回転
を経て自分が座っている側・反対側のドアが開くかを判断します。
結構疲れますね。

最近はドア上の表示器を見ます。「こちら側のドアが開きます」「反対側のドアが開きます」がご丁寧に表示されます。



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