研究者・技術者の責任
半世紀生きてきてテクノロジーがずいぶん様変わりしたな、と感じています。
研究職脱落組の1人の負け犬の遠吠えかもしれません。
自分がこの世からいなくなっても、ある狭い領域の技術分野には名前が残せたことに喜びを感じます。
ただ、自分の発明・発見した手法の社会的影響力が小さかったことにも安心しています。
質量とエネルギーの等価性にしろ枯葉剤にしろ軍事利用されたときに悲惨な結果をもたらします。決まって攻撃される元ネタの科学者。そんな結果になるとは知らなかったと逃げる構図も不謹慎ながらお決まりです。(前者は一度は大統領に開発促進の書簡まで送ってしまっていますが…)
高校生のときに好きだったマンガにAKIRAがありました。
ブログ再開の冒頭にも書きましたが、未だにマンガやアニメが好きです。文字より視覚に訴える表現が好きですねってサブルーチンへ飛びそうなところを抑えて。
大佐のセリフに、
「思い上がるな!貴様ら科学者の実験の為に何千万の人間の命を賭けられるか!」
ってのがありました。
この手のSFモノには技術開発の暴走に釘を刺す人物の言葉ですね。
学者になりたかった若かりし頃には使う側・悪用がいけないのだ、とか思っていました。
今となっては倫理に関する件はいろいろ見てきたのであまり触れないようにしたいところです。行動規範やら科学と技術の定義など前提からして面倒です。
とはいうものの、米国では大学などの研究を行う競争的資金は回りまわって国防費に行きつくことはそこそこの研究者であれば知っていることです。これっていったい?ってなりますよね。
古代からの技術や科学の発展は戦争によってもたらされたなんて輩もいるくらいです。そもそも(自然)科学というものは自然現象の法則性の探究、技術ってのは…とか違う方向にもっていく議論にはうんざりです笑
とにかく生活がかかってますから興味本位だけでは食っていけないし、結果が出ても袋叩き(で済めば良いですが)に遭うことも。そもそも結果を曲げちゃうなんてこともしばしば汗
では。