ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



人生に関わる3人

歳のせいか頑固になっているのかもしれません。
負の感情が身を削るとどこぞのネット配信者さんが言ってました。
人それぞれということで。しかも内に止めておけばいいのにとも冷静にもなったりしました。
ただ「同じ境遇や周囲の方」の一助になればということです。同情などはもはや要りません。元に戻らないものが壊れたのですから。

 

一端消したブログ記事に記したときは1人でした。
それは、どうにも変えられない会社都合転職を合わせた2回前の職場の先輩兼上司です。絵に描いたような技術も管理職もさっぱりダメでその上の上司から守られている。
その後も昇進したらしく経営サイドも疑ってしまいます。最初の休職の原因部分の方です。私との間に大学の研究室の先輩が入っていたのですが、もう全然まともな対応ができません。
「理不尽」と「不条理」につきます。10年も前の事象なので冷静ではあります。

 

現在は「3人」という結論に、自分の中ではなっています。
今は幸い関わりが1人を除いて無いので過ぎ去ったことを蒸し返すことをしない嫁さん側の文化に従うことにします。

増えた1人は実は、父親です。
自分でも意外なのですが、子供のころから理系の知識や創造の可能性を与えてくれました。学費も、学生の生活も支えてくれた家族です。
癌を患っており昔に比べればかなり憔悴しきっており介護まで行かなくとも気遣いが必要なレベルです。たまに連絡をすれば喜んでくれます。

 

ここ5年で考え方が変わりました。
「トータルの差し引き」という尺度です。
それはそれ、これはこれ、と分けられません。
1人の人間が、電荷点や電流則接点のように1点であり、そこから湧き出しているのか、流れ込んでいるのかに集約されて見えてしまいます。
視野が狭い人間だな!と思われても致し方ないと考えています。

後輩というか教え子の1人に、どんな状況だったか詳細は思い出せませんけど
「生きるので精一杯なんですよ!」
と返された衝撃は大きかったです。仮に彼としておきます。
彼は確かに変わった人間でした。でも発達障害のようなものでなく、自分で決めてしまった使命感と顕示欲はないけど自己中な感じでした。強迫観念のようなものに縛られていたのかもしれません。そのときは、親には一切頼らないという学費と生活費をアルバイトと奨学金でなんとかやりくりしていたようなので経済的な問題なのか?と思ってました。
実は精神的にもという意味だったのかもしれません。彼の実家は苦しいとは縁遠い富裕層に入ります。実家の事情も関係しているようです。

彼は恩があっても相手のトータル値がマイナスがあれば敵に簡単にまわしてしまいます。


私は社会的に適合していない彼に呼応する訳ではないのですが境遇が似ていると思いました。決定的に違うのは、彼はお金、私は精神安定です。同じところは視野が狭いことですかね。そういう思考回路、金額なりの数値化しその加減のトータルで判断します。さらに共通しているのは先にも出た恩もプラスに考慮し、この先の人間関係や立場が悪くなろう未来に関しては未知数で値としてはゼロということです。自分勝手な都合の良い解釈かもしれません。

私の話に戻ります。
毎日を生きづらく暮らしている、いわば足枷を常に付けられている状態で健常者とコミュニケーションをとらなければいけません。いつも違和感を感じます。うまくいかない焦燥感に襲われています。身や心を削って働くのは同じかそれ以上と思っています。当事者が健常者に比べて削れる量が少ないことだけは絶対にありません。「毎日を生きるのが精一杯」なのです。


さらに父親の話に戻すと、育ての親に対して何事か!と思われるかもしれません。
1つ与えられなかったものと1つもらったものがあります。
それぞれ、根拠のない自信、(暴)力に対する恐怖感です。ちなみにこの小学生のときに植え付けられた「怯え」が黒歴史である中学生のときのイジメの対象になります。


この2つの有無がすべてを帳消しにして、トータルがマイナスになっています。
あくまで私自身の中の尺度の話です。
過ぎ去ったことは掘り起こさない精神と、血縁関係が何も無かったような関係にお互いありますので基本的には良好です。


良かれと思っているベクトルがそもそもお互い異なります。


この記事はここまでです。(目標の3倍以上に)



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