ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



本来の姿に

プログラムを含むソフトウエアを開発すると、正常に動作するか、想定外のデータや沢山の量が入ってきても対応できるか検証、いわゆるテストをします。

回路のほうも設計をすると想定通りに動作するか実際に作る前にシミュレーションをして動作が正常化を調べます。

なんでもかんでもデータとして受け入れられるわけではないのでいろいろと制限などが使う側につきます。できるだけその制限を抑え、いろいろな状況に対応できるようにテストをします。

どんなテストをするか?というのは電圧の範囲であったり、応答速度であったり、注目する要素やパラメータだけ次元数がありそのベクトルをすべて調査するのが理想です。実際は組合せ爆発を起こし有限時間でテストが終わらないので飛び飛びの値やこの組み合わせは起こらないなど間引いていきます。

それらをリスト化し、入力と期待値の組を作ってシミュレーションにかけます。

まさにこれらのテストを行うお仕事の最中で、間違った回路や定数を検出できなかったり、間違った前述の組が合格してしまったり、いわゆるソフトウェアの世界でも同様の呼び名のバグと戦うことになります。

何人かのチームで手分けをしてその結果についてもみんなで正当性を調べていきます。いわゆるレビューというやつですね。最初は社内レビューだったり、お客さんに説明して検品してもらう最終レビューだったり、段階があります。

今回、転職してはじめてある項目に関して理解が足らずに合格にしてしまい、本当に理解してやっていたのか?と差し戻しをくらうことに。。。

社内ではるものの正式な最終のもので、私がある結果について説明をしている最中から、明らかに途中から感じましたけど、基礎的な部分を聞いて理解のあいまいさから矛盾にたどり着く尋問になってこれじゃテストになってないじゃん、ってことになってしまいました。

詰め寄られるようなことも無いですし、自分には勉強にはなりましたけど、私のざっくりモノを考え辻褄を合わせて行く考えとは別次元で苦手です。精密が求められ品質や価格、会社の信用につながります。人にモノを売ってお金をもらう商売には、そのモノに相応の価値がないといけません。

自分のスキルの隙間の大きな部分のいいかげんさが露呈してしまった瞬間でした。

 

ヒューマンエラーはゼロにはできないということ、仕事内容に対しての指摘とはいうものの、いくつになってもダメ出しはしんどいものですね。

 

では。



スポンサーリンク