ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



今年もひっそりお願い致します

本日帰省先から単身赴任(?)先へ帰ります。

ここのブログのログインアカウントおよびパスワードをブラウザが覚えているので年末年始入れませんでした。

何度か、時間規制ロックを食らいながら、組合せ数2^5くらいで入れました。

アスペ夫とカサンドラ嫁+子供たちの距離感はこれくらいかな、という当事者目線の客観的視点で家族と過ごしました。

ちなみに自分側の実家にも帰ってPCを新調してきました。父親がいろいろ病を患っていながら元気なのは良いのですが、根性論の申し子的かつ老害心情が加わっていました。数件前に書いた「かわいそう」な感じを覚えました。中学、高校、浪人時の昔話をずっとしていました。向こうも覚えてますが自分が覚えているのにも驚きでしたね。

家族のほうに来てからはまず電気屋さんのお仕事。嫁さんのお義父さんのいろいろサポート。

いつも、ごろごろはしているのですけど、要求に対してそれなりに動いたようでそこそこの評価。

もちろん、ASDでやってくれない、ASDに指示しても理解できないお手伝いはそもそもしないという、かなり大きくネガティブなバイアスがかかっていることを忘れてはいけません汗

子供たちが嫁さんに性格的に似て良かったです。もしかしたらASDの因子を受け継いでいるかもしれず、いつ発火するかわかりません。でも自分の人生の各岐路の状態と比較して十分健常者の道を歩んでいます。

子供たちなりに面倒くさいお父さんの扱い方も母(嫁さん)から会得しています。

(いろいろ書いたけど脱線なんでばっさり)

 

まあ、家族で過ごすのも良いかな?って思いました。無責任な言い方をするのは一緒に住んで大変だった過去があるからです。ASDなりに複雑な気持ちですよ。

 

では。



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