肯定の教育
いいかげんなタイトルです。
ググると自己肯定とかでてきますがそんな高等なものではありません汗
また昔話。そうそう、今も昔もそうですけど承認欲求が満たされていない?
ここでしか褒められませんが嫁さんとその親(片方??)は良くできた人たちです。
1回目は怒りません。過ぎ去ったことは蒸し返さないです。基本必要なリクエストは承認されます。
また自分の親を、と斜め上の自分もそう思っています。
子供のころからアスペ臭はしたのでしょうか。断片的ですけど幼稚園の出来事を覚えています。記憶は少し歪曲されているとしてもポジティブ、ネガティブ、単なる事実は幾つか出てきます。幼稚園に行く前の記憶も3つぐらいはまだ出てきますね。不思議です。。。
肯定の反対なので否定・拒否された事象ですね。一人っ子なので確かに兄弟が要る知人などの話と比較すると甘やかされた面も多々あります。
小学生低学年ですかね。国語の宿題がありました。ピザを食べたことに関する作り方や味の感想。柱に印を付けて身長が伸びる記録をとることに関する意見や感想。理科で河川や海岸の石の特徴などを考察する。
そのためにピザを食べる、柱に印をつける、石の採取、の要求を断られました。
こうやって書き出してみると、宿題を出す側もちょっと無理強い?って思ってしまいますね。
ピザに関しては宅配や冷凍なんてものはありませんでしたから、レストランとかで注文するしかなかった時代です。柱の印については家が新築だったからダメだったような。石の採取はこれは不法行為ですよね汗、当時は宿題程度の行為で咎められるものではなかったような。。。
外食や自然に触れる外出は友人より多かった気がします。ただ、独り暮らしをする大学生で初めてピザを食しました。柱は仕方ないのですかね。石の色や形の考察についても、急な話だったような。海岸は良く連れて行ってもらいました。
いろいろな事情で全部が受け入れられるものではなかったですが、当時から探究心や自己顕示欲が強かったのでその過程を遮られた記憶は負の側に振れて残っているのでしょうね。
やっと本題です。自分なりの教育方針として子供たちにしてきたこと、していることです。興味を持ったものにはほぼ答える。。。訳ではなくアシストはします。自分で考えさせることは忘れていませんが、その機会を奪うようなことはしません。
自分の境遇を反面教師にした部分だけのお話です。
まあ、引っ越しが多い、出稼ぎ状態で不在と、父親として良い教育環境を構築しているとは言えない根本の問題がありますね。
ちょっと、出直します。。。