ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



英語の話(ちょっとASD)

言語学者でもないので下手なことは言えませんけど。

日本語と対比して文法がえらく異なります。

英語圏から見て世界中の言語で習得するのに要する学習で一番時間がかかるのが日本語、韓国語みたいです。

 

中学英語までは例外があまりないのでルールまで覚えてしまえばテストはなんとかなりました。洋楽なんて聴いていなかったのでリスニングとかは今でもダメダメです。

高校に入って春休みに課題の短編小説みたいなものを勉強して来いと。ここから英語嫌いが始まります。文法以前に単語が分からなく、辞書を引くのですけど1行に5,6個の単語を調べなくてはいけないので2,3行単語を調べた時点で挫折。

入学式直後の課題テストとその後の英語学習は散々な結果でした。

辞書を本格的に使うのは大学4年で研究室配属になってから。その分野の文献を1人2ページ訳してできれば理解して説明しろという課題がありました。先行技術の文献は基本的に英語。大学院の修士課程で既に論文を書くのですが世界発信しないといけないので英語となります。和英辞書はほとんど意味なしです。勝手な英語や言い回しを使うとすぐバレます。単語や文法的に正しくてもその分野特有の用語や言い回しがあります。

なんとかドラフトを作って指導を手伝ってくれる先輩や直接先生のところへ見せにいきます。先生方も英語は専門ではありませんのであくまで経験からの指導が入ります。大ボスの英語執筆に対する考え方:ネイティブの書いた文脈を真似ろ、というのはASDにはしんどい指示でした。

慣れないもので学術の道に残れなかったのも筆の重さが原因の1つでしたね。

 

英語にまつわるお堅いもこれくらいにして。

海外で発表する機会も多く、出張に行くことも多かったです。日常会話になると良く聞くお話し、英語教師でも通じないみたいなことが起こります。

新婚旅行は豪州でしたね。

ツアーに入ってしまえば値段は高いですが、どうのこうの言って日本語が通じるようになっています。果敢にも最初に挑んだところがサブウェイ。実は日本でも行ったことがなかったのであのパンの種類から選ぶシステムを知らなかったことと、豪州特有のなまりもあって唯一店員さんから聞き取れた言葉が「あなたの言っていることが私には理解できない」でした。。。特に成田離婚(死語)のような幻滅されることなく。

出張は米国と加国が多かったですね。チップを払うレストランとかなってしまうとテーブルに店員が付くので追加注文は無いか?楽しんでいるか?など気遣いがASDには逆効果。

で、1人出張のときにはお世話になった大手ファーストフードのマックです。テイクアウトが当時通じないことは知っていました。やる気の無さそうなバイトのお姉さんの第一声のネクストは想定内。第二声、面と向かったときの「ひあおとぅごぉ↑」私にはそう聞こえました。正式には(いずざっと ふぉーひあ、おぁ とぅごー)の後半部分ですね。ここで食べるのか落ち帰るのか、の問です。ASD全力発動!当然想定外で大パニック。店内か持帰るのかで紙袋とかを用意しなければならない情報が必要な店員さんと、それを無視して注文を言う私との間の意思の疎通はありませんでした汗

それ以降のテンプレ、

とぅごー、こんぼ なんばーわん、コーク (えにすぃんぐ えるす?)のー

持帰る、セットの1番、コーラ、(他には?)なし

です。決まった流れができてしまえばASDでもなんとかなります。

 

他にもエピソードがありますが、千文字超えているのでまた今度。

 

では。

 



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