ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



脚注に関する前フリを

返事 - ASDの戯言に自分で書いておいて非常に気持ちが悪いものを残しておきました。

3番目の文章中に脚注のつもりで*の記号を入れておきました。

マンガでも普通の記事でも章末や巻末に補足説明や参考文献を示すために記号を使ったりします。

気持ちが悪いというのは、脚注記号を示しておいて、その説明が無いことです。

単に筆者が忘れたのだろうとか、特に斜め読みだから気にならなかった。というのが通常の読み方かもしれません。

ただ自分がその状況に遭遇したら仮にコメディマンガでも、ブログの記事でもおそらく怒り狂っているでしょう。。。

頭のかたいASDなのでプログラムを実行しているような感じです。

脚注記号があるとどこかに説明があるのだとサブルーチンに飛びます。ページ下、欄外、章末などを探して行き、説明が補足に足るのかは別にして、リターン命令を実行し、中断していたメインルーチンである本文を読み進める行動に戻ります。

それが説明がどこにもなかった場合、探しに行ったまま処理が終わらずメインに帰ってきません。まあ、わざとですけど。 読むに値しないと!

次の記事にしたいのですが、職業病もあってそのあたりが厳しいです。査読時もそうですけど、ミスとして認めて筆者へ指摘として返します。ただ、読み進める上で内容の質にマイナスのバイアスがかかります。これは意地悪では無くてこの世界、この分野では共通の認識です。

後でまとめて見よう。実際の説明を発見してから、そこの説明だったのね。という読み進め方が普通のようですね。記号の相手がいなくてもそのまま読み進めることができるでしょう?

 

って、私はできません!!



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