ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



人望・仁徳

後半戦が荒れている人生を歩んできました。

半分より多くを占める産業界において管理職、経営側になることはありませんでしたし実質10年弱の勤労の義務がありますけど、そちらは成りたくはありません。

昔はタイトル、この場合は職位ですね。「えらくなる」という意味で上を目指すのが普通の風潮でした。いつぞやか上に上がらなくてもいいやという風潮が広まり、若い世代の心の持ちように問題がある指摘がなされました。

実際、職位に見合う報酬や削り取られる精神面を考えたらメリットがありません。ルールを曲げ人を蹴落とすようなサイコパスな人であれば人を傷つけても上にあがるんでしょうね。部下から恨まれ憎まれても一向に気にしない上位の評価は気にする連中です。これがまかり通っている企業がつぶれないのはある意味不思議です。この国の闇かもしれませんね。

 

前振りが長くなりました。幼少期からのざっくりとした将来なりたいものに一瞬だけなれました。苦しいですけど夢がかなったことになります。開けてみたら、まあ酷いもので体が先に拒否反応を起こしてしまいました汗

そこにも職位がありまして、企業でいう管理側に回ることになりいくつか研修も受けました。全然違う世界で考え方やルールも異なっていました。

唯一共感できたこともありました。まったく違う分野の上役の方が講師になって話くれた内容の一部です。この業種は組織を使って生産性を上げるとかではなく人間を育てるという特殊性があります。そのうえで「人望」の重要性を強調していました。さらにさすが工学系。それを数値化する方法も。

自分の葬式に、当時関わった人間、特に指導をした人間が何人来るか?故人である自分に対して率先してスピーチをしてくれる人たちがいるのか?

正直、人生が終わってしまってからその数値が分かっても意味が無いですし、実質数年しか関わらない人間に慕ってもらおうなんて思ってもいませんでした。既にASDと判明し4年ぐらいが過ぎていましたので、人とのかかわり合いを敬遠している節がありましたからそんなのは要らない、と考えていました。

察しの良い方ならわかるでしょう。その上役の話の本意は、人望のものさしではなく、「現在」人望をあげるような心のこもった指導をしているか?あの人に教えてもらって良かったなと思ってくれる教え方をしているか?という意識の持ち方、心構えの話でした。

今、半分独り身のような生活、家族もいますしASDの特性も手伝って寂しいと思ったことはありません。逆に人間関係がうざい、面倒くさいと思っていても私的な面はともかく公的な場においてASDのAutismの部分をできるならば出さないほうが良さそうです。

 

周りの理解も必要ですがASDなりの努力は必要そうです。

 

譲歩しても痛恨の一撃を食らってしまう人間もごくまれにいます。。。



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