「根拠のない自信」再び
最初にこの言葉を知ったのは研究関連の仕事をしていたときの直接のつながりの時間は少ないのですが、仕事としての後輩からです。
ポジティブシンキングの彼から、米国西海岸で開かれる学会の参加時の宿で当時吸っていたタバコが灰皿が山盛りになるまで話し込んでいたときでした。
相変わらずの被害者意識は変わらずでしたが、思考、発言力、交渉力の根源が「根拠のない自信」であると確信していました。
何度も言いますが、子供たちの「根拠のない自信」の芽を摘まないように、彼らの質問には全部答え、否定はせず自主性を養うように努めたのが、唯一自分が受けてきた親からの教育と正反対にしたところでした。
前置きが長くなりましたが、伏字は止めます。あるYutubeの番組でひろゆきさんとの対談の動画がありました。ちょっと引用します。
対談のフローも面白かったです。聞き手:聞、ひろゆきさん:ひ
聞:根拠がない自信をどうすればそれを持てるのか?
ひ:まずその考え方が違う
子供は世界の中心が自分と思っている
自分は偉い、まわりが足るけるのが当たり前、の状態
この状態から自信が失われていく
子供の自信が失われないようにするのが先
聞:大人になったら手遅れじゃない?
ひ:自分はここまでならできるという最低ラインで評価
(例を提示)
聞:みんなもともと自信はあった。
それが自己嫌悪によって削られていく…
ひ:できない自分を嫌いになっていき
「本当の自分」と「なりたい自分」の乖離がおこる
つづく
この記事で言いたいのは、前半部分です。
・根拠のない自信をもつことの重要性
理由には異なる感じですが、とにかくその人の人格を表す「源」
・この自信の大人になるまでの現象過程
これは、驚きました。みんな持っていて成長過程で削られてしまう
ひろゆきさんの主張の正当性はさておき、子育ては嫁さん任せで、自身が唯一やってきたことの意義の理由について一気に説明がついたと感じています。
裁判の判決逃れ、のらりくらりとしている言動、なぜかWeb討論番組にコメンテータとしてよばれる、とアンチの方も多いかもしれません。
教育系社長、見せしめで捕まってしまった実業家、メンタリストが視聴を止めたところですね。数か月前から急に見だしたのが、掲示板とニコニコ創設者の発言動画ですね。
もともと視聴していた方々を止めたのは、なんとなくではなくてもともと上から目線的なこうするべきだ、しなければならないと押しが強い内容だったのですけど正論も述べているので見ていましたが、自分の考えと真逆の主張を突然してきた時点で登録を解除しています。
解除の理由と、仕組み作りの方を急に見だした理由を次回に述べてみたいと思います。
では。