ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



最近ASDネタが無い

気が付いたら来月で今の会社に転職して1年です。

ここ、10年で一番早く過ぎたかもです。

確かに給料は若干減りました。しかし体質があるので心身の健康に生活できることには変えられません。

自分でいうのもお恥ずかしいですけど技術的スキルで丸投げされる業務が処理できません。予測・制御できない人間の管理なんてASDにはもってのほか汗。歳もあるしキャパオーバーもある。時代が便利化し情報の伝達が瞬時に行える。人間様だけが相変わらずの処理速度なので次々に仕事やらやるべきことがpile up(積み重なる)する。

老人あるあるの昔話です。

イーサネットと呼ばれるケーブルやパケットあたりの階層を規定した通信規格でLANとして今でも使われています。1990年代にインターネットという言葉が急に普及しました。イーサネットは当時の信号線の直径1センチぐらいの同軸ケーブルイーサネットケーブルと呼びコンピュータ同士のネットワーク通信自体は存在していました。インターネットという言葉がどうもしっくりこなくて使い方をよく間違えましたね。

電子メールはメーラーが貧弱でFAX全盛のため依頼や指示はFAXでした。

ワールドワイドウェブの仕組みを開発・実装・公開をしたのは、今のところ一番好きなゲームとアニメのシュタインズゲートにも悪の機関のモデルとして出てくる、CERN(セルン)でした。加速器を用いた素粒子物理学が主な仕事ですけどいろいろなことをやっていたんですねぇ。CERN内の情報網のために作ったものですが汎用性があるためWeb言語のHTMLを含む仕組みを無償公開しました。この手の業績は大体1人で英国の情報系の技術者が発明したものです。

脱線しました。

当時は、指示や依頼がくるのが郵送などでしたので電話があって2,3日遅れで作業開始という時代からFAX送受信の数分に短縮された時代です。現在の電子メールと同じで一方的に送られるFAXに、だれだこんなものを作ったのは!と仕事が積まれるのが早いと上の方々が嘆いていました。

大きいデータはフロッピーディスク10枚とか8mmテープに書き込んで郵送、印刷のための原稿などの編集は紙の切り貼り&郵送でした。お絵かきソフトも貧弱でしたので実作業のほうも超アナログでしたね。

ネット経由で原稿や回路データを転送というのが定着するのにあと10年は必要でした。

便利になっても、人はそれに追いつく必要があるので帰って不便な世界があることを知ってほしいですね。

 

人間の限界値はほぼ一定です。ストレスや疲れとそれの回復を考慮した技術の付き合い方をその都度見直さなければいけませんね。そのままの技術革新で進むと人間のほうが壊れます。

 

では。



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