ASDの戯言

40代でASD診断された技術者サラリーマン。生きにくさの記録。

  初老アスペ(ASD)エンジニアの家族・職場などの環境を含めた過去と未来の見通し。



これは面倒になってきかも

続きですね。

PDが久しぶりに出てしまったので、ちょっと冷汗ものでした。

結局、仕事も一段落。追加の調べごとは私の手に追えない高度なもの。

午後の有給休暇をとることに。嫁さんは「なんでやねん」といかんじです。

仕事より難しい問題で先送りできるなと思ったので、朝一に自分のToDoリストを公開。

先のできること/できないことリスト(そのような区分けではない)をどう作るかで、また安請け合いしてしまった自分を悔やむとともに、祝日前の残業できないほんの30分で説明できるものではないという状況だったことと比較していました。終わってしまったことなので、祝日中は客観的にどう見えるのか、今はどれくらいの認知度で精神科医メンタルクリニックの先生はどう対応しているかを見て回りました。

動画のほうもその手の解説があったのですが、偏りがありそうなので避けました。まあここまでやっておきながら、対応方法は千差万別。ADHDのほうは割と同じ対応法になっています。ASDに関してはASDの説明の三大苦手なことは説明されていますが、スペクトラム(連続体)だけあってさまざまです。昔のこの国のアスペ研究、医師である先生の書いた本を見返しました。時代が昭和から平成というケースなためちょっと古い感じです。基本的対応の考えは同じなのですが「根本的」「抜本的」となると、それこそ教師無しAIにかけて次元減らしの新しいカテゴリ分けを見つけてもらうくらい人間では分類不可能です。もし見つかったら学会誌に載るか、その界隈の共通認識的存在になるでしょう。架空のお話しをしても仕方ないですし、私個人に限った話であればまとまるかとも思いました。ところが記憶にある対応DBには、できる/できないの分類分けのインデックスはついておらず、個々の事案の対処法で、言ってしまえば全部「できない」に分類されてしまいます。そうこうしているうちにその日の朝が来てしまいます。

先に述べたようにToDoリストに経緯をいくつかを書き、できていないほうの分類で印を付け、朝の状態で詰まっていますと。とりあえず報告。

やり取りの前半は前回記事と通りで、後半があります。

リーダー的存在の人が意外な方向に。

自分の抑えてきた私には分からない迷惑をかけた数々の出来事をご破算にして話を勧めようとしているが、それは変ではないかと。

ん?確かに迷惑をかけているけどそこがわからない、理解する回路が抜け落ちてるのでと先の「できない」リストにエントリされることになると、思いつつ、どうやらそのリスト作りではなく、今まで耐え忍んできた事案の数々をどうしてくれるんだ?という感情論のようです。

病気だから仕方がなかった、ではこれからその部分を本陣である私と認識できない周りの方々に指摘してもらって現在の業務に近づけよう、というのが、まあ書いていて分かりますが上から目線に見えるのですね。まてまて、その前に前のパラグラフにあるように今までの自分が被ってきた苦労や尻拭いの数々はどう清算してくれるの?と(このあたりは嫁さんの文章からの健常者としての裏読みと私の納得の意訳が多いに入っています)それを清算しないで勝手に話を進めないでくれということのようです。

それを裏付けるかのように、1.数々の私の見落とし、働きかけが理解できないことが多々ありました。その結果で私の知り得ないご迷惑をおかけしました。2.こちらとしてもくみ取る努力はしたものの理解が追いつかず無意識で抜け落ちなんとか補おうと努力し悩んで苦労していました。と1.への謝罪と2.の自分の側でも苦労をしていたことを伝えました。

 

そこで2.の私の苦労部分:

ここは多分健常者や、嫁さん、子供たちのクラスの長年付き合ってきた人間でないとわからない

  彼らには何をしてるんだろうこの人・お父さん、またわけわからんこと・

  余分なこと・今言わなくていいこと言ってきやがって、それに付随する行動

ところで、指摘を受けて、自分なりに理解できず思い悩むことも多々あります。ああ、この現象の成り立ち説明は必要はないのだな、これは間違ったまま流すべきところなんだな、この場のの空気がで言わなくて良いこなんだなと、対応DBに場面とするべき行動の対を貯めていきます。実はこれはかなりの苦痛。苦労であって健常者側にはわからないこと

以前にも例に出しましたがもう一度、お笑い番組の1本グランプリ最初の頃の視聴者プレゼントにシリアルナンバー入りUSBメモリを100人ぐらいに、というものがありました。チェアマンの松本さんがプレゼントをただ単に「USB」と呼び、連呼していました。家族で見ていたのですが、家族はUSBとUSBメモリが違うことは私から説明されています。さすがにその場の雰囲気が読め、この人・お父さんがツッコミを入れてくるな!というのが分かりました。そこで、言いたいのを我慢(実はこれが非常に苦痛)して何を言わず流しました。(逆の抜け落ちの例が見つかりません)

を今説明しても無理だなと簡単に書いたところです。(随分深く複雑な内部サブルーチン構造になりましたがちょっと直す元気がないのでごめんなさい、メインにもどります)

 

ここに食いついてきました。病気と言って片づけられる苦労と、リーダ的存在の人が被った被害のどっちが大きいのか?と(実際はその表現ではないですが、意味は書いたとおりです)。

さすがの私も、語弊を怖れずに言えば、あ、この人も別の意味で粘着質で面倒な人だな、と感じた次第です。研究のボスと一緒で自分の細かい理念がありそれに沿わないと気持ちが悪い、直せ。という感じです。直近の例ですと、週報を通り越して毎日出す簡単な報告書、オンライン上ですのでテキストのメモ10行程度なのですが、3回直されました。ASDを告白する前です。

以前言われました、仕事を一緒にやる上で他の人より細かい作業と分量が多くなるけど、流用や不明点をなくすなどの配慮して進めて行くので、面倒でも私(リーダーさん)のルールに下だってくださいと。妥協を許さない細かい人という感じです。

ASDの世界でも特にこだわりがそれぞれの人にあり、全然興味が無いことがありますが趣味の世界などなので自己完結している場合が多いですが、収集癖だとモノが増えて家族なりに迷惑がかかる場合があります。

ほぼ直行(X軸方向の量とY軸方向の量と考えてください)するこのこだわりの2つの世界が交わること貼りません。数学に例えるなら両方の世界を満足させるXとYの関数を新たに作れと言っているようなものです。

これは、この関数を作り出すことを諦めたほうがお互いに取って良いなを私側からは思いました。

もう1人、まとめ上げる部長は、先に述べたように見てはいるのですが割り込んでこない。休暇は部長の承認が必要なので、グループチャット上で判断を聞いたところ、OKです。自社のほうの報告も忘れないでとだけ返ってきました。

部長も飄々としているわりには管理職だけあって押さえるところはしっかりしています。この静観が、私たちを観察しているのか一方的ですがリーダ的な人の今までのうっぷんを吐き出させているのか、意図が分かりません。

 

私も今日の分はだいぶ落ち着いてきました。ただ、この先まだまだひと波乱もふた波瀾もありそうです。

 

では。

(何か3000全文字なんですけど 笑。推敲はしないのでご容赦ください)



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